ピアノをやめた日

16年前、ピアノをやめた。

  多分に漏れず、受験に集中したいというありきたりの理由からである。母もあっさりとしたもので、そう、と言ったのち、すぐに行動に移った。
すでに通わず久しくなっていたピアノ教室に電話をかけ、ピアノの廃棄、解体について手はずを整えた。
購入したテキスト類は教室に寄付し、(教材費にお金を払いたくない親は多くいる。私の親もその限りではない)椅子はその時教室にいた知り合いの畳屋の子の親がほしがっていたようで、あげるようにその場で決めてしまった。
(私の名前)に代わってくれないか、との言葉を、息子は外出中ですので、と断る声を聞いたような気がするが記憶はおぼろげである。当時はちょうど都のコンクールを控えており、その件について私の意向を聞くためか、また電話自体がその罪悪感のつくりだした偽物の記憶なのか、既に判断のつけようがない。母はその一年後、胃癌で他界することになる。
 
翌日、業者が来た。
灰色の作業着を着た男二人が居間にあがり、それの解体を始めるのを、母と私はちゃぶ台から眺めていた。
まず天板を大きく開き、何かの際に音がでないよう弦を緩めていく。
”歯”と呼ばれる張った弦を叩く部品は固定されていないため、転がらないよう慎重に分離する。
そうしてゆるんだ鍵盤は力を失ったように落ち、沈む。そして一本一本を丁寧に、それこそ老人の歯を抜くように、左から順に外されていく。
 
母はカルピスを飲みながら、解体の様子を眺めていた。練習の際、間違えるたびに私の手を叩き、
「やる気がないのならやめろ」「運指を正確に」「指が冷えるなら火で炙れ」と恫喝していた母だが、作業をただぼんやりと見ているのみで、特に感慨があるといったふうではない。母自体、ピアノを弾けるわけではない。イ長調ハ長調の違いですら理解しているか怪しい。
私はいくつかのことを母に話しかけたと思う。「なんだか介護みたい」「淡々としている」「もう少しうるさいものだと思っていた」
解体から明確に連想された死という単語を避けていたのは、その数か月前に祖母が亡くなっていたからだ。
そしてのちに父から聞いたところでは、母の癌と余命の告知は既にその半年以上前に行われていた。
母の死も劇的なものではなかった。告知された余命に従うようゆるやかに弱っていき、するりと死んでいった。
 
昨日、夢を見た。
見渡すばかり色とりどりの紙と木屑に覆われた草原の上、グランドピアノが置かれている。
近づこうとする幼い私を母が引き止めている。
「危ないから」何が危ないのか、と聞こうとする私の声はエンジン音にかき消される。
緑の丘の向こうから、のそりとショベルカーが下ってくる。伸ばされた黄金の腕の先には銀の鉄球が輝き、彼はそれをピアノの真上に高々と掲げていく。
断続的な電子音と赤い光の点滅ののち、球が落とされる。
それは曇りない漆黒の天板にめり込み、裏返し、内の日に焼けた木を露わにする。
一斉に叩きつけられた鍵盤は白も黒もくだけ、ばねのようにはじけ飛ぶ。
むりやりに断たれた弦たちはぱちぱちと無音階の破裂を重ね、倒壊したビルから逃げだす人々のように四方へと飛び出していった。
 
凄まじい爆発音とともに目を覚ました。くだかれた反響は枕元の雨の音に溶けていった。
今日が母の命日だ、ということもない。ピアノを解体したのも夏だ。
かじかんだ指先をコンロで炙りながらこの文章を書いている。
今朝はひどく冷える。
 
(サカザキ)